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クヌーズ1世 (デンマーク王) : ミニ英和和英辞書
クヌーズ1世 (デンマーク王)[おう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

クヌーズ1世 (デンマーク王) ( リダイレクト:クヌート1世 (イングランド王) ) : ウィキペディア日本語版
クヌート1世 (イングランド王)[くぬーと1せい]

クヌート1世英語:Canute / Cnut / Knut I、デンマーク語:Knud 2.、995年 - 1035年11月12日)は、ノルマンデーン人で、イングランド王デンマーク王ノルウェー王を兼ねた王(イングランド王在位:1016年 - 1035年、デンマーク王在位:1018年 - 1035年、ノルウェー王在位:1028年1030年説あり〉 - 1035年)。デンマーク王としてはクヌーズ2世カヌートクヌットなどとも。大王(英語:the Great、デンマーク語:den Store)と称される。
== 人物略歴 ==
デンマーク王スヴェン1世の子。
母はスラヴ人レフ族(ポラニェ族)の族長でポーランド統一者であるミェシュコ1世の娘シフィエントスワヴァ〔Encomiast, ''Encomium Emmae'', ii. 2, pg. 18〕〔Thietmar, ''Chronicon'', vii. 39, pgs. 446-447〕〔Trow, ''Cnut'', p. 40.〕(嫁ぎ先で王妃グンヒルトと呼ばれた)。同じくミェシュコ1世の子であるポーランド国王ボレスワフ1世(勇敢王)は叔父にあたる。ただし、『ヘイムスクリングラ』〔『ヘイムスクリングラ - 北欧王朝史 - (二)』(スノッリ・ストゥルルソン著、谷口幸男訳、プレスポート・北欧文化通信社)65頁(『オーラヴ・トリュッグヴァソンのサガ』第三十四章 ハラルド・ゴルムスソンの死)。〕、『』によれば、母はヴェンドの王ブリスラヴの娘のグンヒルド(en)とされている。
父スヴェンおよび叔父ボレスワフ1世配下のポーランド諸侯と共にイングランドに侵攻して活躍した。1014年、父が戦死した後、その後を継いで戦い続けて勢力を拡大した。それをもって1016年、アングロ・サクソン封建家臣団の会議でイングランド王に推挙され、即位することとなった。1018年には兄ハーラル2世の死によりデンマーク王位を継承した。その後はノルウェースウェーデンに遠征して勢力を拡大した。1028年にはノルウェー王位も兼ねることとなり、3国の王位を兼ねて「大王」と称された。ここに、広大な北海帝国を築き上げたのである。
1035年、41歳で死去した。死後、後継者争いが起こって、北海帝国はクヌートの死後わずか7年で崩壊した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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